私が開院した理由

身近な言葉「カイロプラクティック」

私の父は『カイロプラクター』です。

最近では「カイロ」「カイロプラクティック」
という言葉は聞く様になってきていますが、
今から20年以上前はあまり聞き慣れない言葉でした。

小さい頃から「カイロ」と言う言葉を耳にしていて、
自分の中では、すごく聞き慣れた言葉でした。

『カイロプラクター』になりたい!

そう思い始めたのは幼稚園の時だった気もしますが、
ハッキリ覚えているのは小学生の頃です。

小学生で!?と思うかもしれませんが、実際、それくらい
「カイロプラクティック」は私にとって身近な存在でした。

 

自然と触れていた「カイロ」の世界

私は子どもの頃から風邪を殆どひかない元気な子どもでした。

それでも、たまに風邪をひいた時は「すぐに病院に行く。」
ではなく「すぐに父に治療してもらう。」でした。

我が家では風邪のひき始めは「治療して寝る。」
というのが当たり前になっています。

「カイロ」で「風邪?」と思うかもしれませんが、
本当に翌朝には驚くほど良くなっています。

だから、ほとんど1日で熱も下がるし、
薬を飲まなくても元気に登校していました。

たまに小児科に行くと小児科の先生が「珍しいわね」と
笑顔で話しかけてほど、私が病院にかかる事は珍しかったのです。

でも大体病院に行く時は39度超えてる時だったので、
こっちは笑顔に応えるほどの元気はなかったです・・・

 

薬の効果もアップする?

昔から年に1回、風邪をひくことがあるかどうか
わからない位元気が取り柄なので、普段、
私は余程の事がない限り薬を飲む機会がありません。

その為、たまに薬を飲むと、どんなに高熱が
出ていようと本当に良く効きます。

今でもそうですが、高熱時、市販の薬を
服用した場合は次の日には熱が下がり、
翌日には8割9割程度良くなります。

嘘の様ですが本当の話です。

日頃から自然治癒を高めておく事の大切さを
無意識のうちに肌で感じていました。

 

自慢の父

小学生の頃、私は少年野球チームに入っていました。

決して上手い方ではなかったですが、野球は楽しく
練習も好きだったのでたくさん練習していました。

ケガに気をつけながら運動をしていても、
やはりケガはしてしまうものです。

湿布やテーピングだけして安静にするより、
治療をして、必要なら湿布やテーピングをする方が
治りが早い為、自分がケガをした時や友人がケガをした時は、
よく父に治療をしてもらっていました。

父が治してくれる事が、嬉しく、そんな父を自慢に思い、
なにより、風邪もケガも治せる父の事を尊敬していました。

そんな経緯もあり、当時は仕事内容はわかりませんでしたが、
将来、自分も父と同じ仕事がしたいと思い、
小学校の卒業アルバムの「将来の夢」の欄には、
『カイロプラクター』になりたい!と書いていました。

 

自慢から憧れに

中学に上がり、バスケットボール部に入部したのですが、
そこでもやはりケガが多く、自分や友人のケガや
体調不良を治してもらっていました。

更に、実家の1階が父の治療院だった事もあり、学校帰りに
玄関前で患者さんにお会いする事が良くありました。

治療院から出てくる患者さんは皆さん『笑顔』でした。

治療院の前だけでなく、外出先で患者さんに
お会いすると父は「先生」と笑顔で挨拶されていました。

父はたくさんの方の笑顔に囲まれていました。

みんなを笑顔に出来る父。
「先生」とたくさんの人に慕われる父。

このころから段々と父への尊敬から目標に変わって行きました。

 

そして、目標へ

何かあればすぐに治療をしてもらい、
さらに自宅が仕事場だったことから、父の仕事を
身近で感じ、たくさんの刺激を受ける事が出来ました。

「自分もみんなを笑顔にしたい!」
「将来、父のような治療家になりたい!」

この頃には将来のハッキリとした目標となり、
将来は『カイロプラクター』になると心に決めました。

 

国家資格に向けて

そこで『カイロプラクター』になる為の
進路相談を父にした所

「人の身体に触れて治療する以上、国際基準のカイロプラクターになるべきだ」

と言われました。

父と同じPACC(パシフィック・アジア・カイロプラクティック・協会)の
認定カイロプラクター(国際基準)になる為には、高校卒業後は
専門学校へ進学して国家資格を取得する事、
国家資格を取得したら、認定テストを受験出来るとの事でした。

その為にまず、「専門学校に行ける高校に行きなさい。」
と言われました。

高校生活は進路も決定していたので、進路の面では
両親にも先生にも特に心配される事もなく、やりたい事を
思いっきりやらせてもらった3年間だったと思います。

 

迫られる選択肢

3年間の愉しい高校生活も終わりが近づいて来る頃、
遂に入試シーズンが到来です。

ここで重要な問題が1つ。

『どの国家資格を取得するか』という事です。

・骨折や捻挫、打撲などのケガを診る事の出来る「柔道整復師」
・鍼やお灸を使い、道具によって筋肉や経絡を治療する「鍼灸師」
・手や指を使い、筋肉やリンパなどを治療する「按摩・マッサージ・指圧師」

「医師」や「看護師」を除くと、
この3つの中から選ぶことになります。

私は昔から手先を使った事が好きだったのと、
カイロは手を使って治療するものなので同じ手や指を使う
「按摩・マッサージ・指圧師」の学校に行く事に決めました。

「あん摩・マッサージ・指圧師」免許を取る為に
通う学校選びですが、これはあっという間に決めました。

受験するのはもちろん父と同じ学校です。

 

父、私、弟。3人の母校

指圧を学びに通っていた学校は、後楽園にある
「日本指圧専門学校」です。

この学校は日本で唯一の指圧専門学校で、指圧療法の
創始者『浪越 徳治郎』先生が創られた学校です。

指圧の心 母心(ははごころ) おせば 生命(いのち)の泉湧く

というフレーズが有名で、テレビにも出ていた事も
あったので知っている方もいると思います。

入学のきっかけは父の母校だったからで、指圧をやるなら
「浪越学園」だと薦められて入学を決めました。

今では「日本指圧専門学校」は、父、私、弟の母校です。

 

3年間、共に学んだ、同じ志の友との出会い

専門学校在学中の3年間は、日中、実家の治療院で
働かせてもらいながら、治療の基礎や臨床の
勉強をさせてもらい、夕方から学校へ通っていました。

学校では解剖学や生理学などの人体に関する基礎知識、
指圧の実技などを勉強し、日曜日は池袋にあるPACCの
セミナーに参加し、カイロの哲学、テクニックなどを
しっかりと学びました。

指圧学校では、基本的な座学だけでなく、
実技の授業もたくさんあります。

実技では実際に生徒同士で指圧しあい、身体の使い方、
指の使い方、押す強さや感覚など本当にたくさんの事を
学ぶことが出来ました。

指圧師を志してきているのでみんな真面目で、
テストが近くなると一緒に勉強したり、
泊まり込みで実技の練習をしたりもしました。

放課後や休みの日にはキャンプに行ったり、
ゲームをしたりと学生らしい事もして、
3年間一緒に勉強したり遊んだり、今でもたまに
遊ぶ程の仲のいい友人と出会う事が出来ました。

指圧学校に通っていた3年間は本当に素晴らしい学校生活でした。

 

猛勉強の末

国家試験の勉強は早朝や深夜、電車の中でも
時間を見つけては勉強していました。

人生でトップ3に入る位、必死に勉強したと自分では思っています。

勉強の甲斐あってか、国家試験は無事合格。

第1目標のであった「按摩・マッサージ・指圧師」
免許を無事に取得する事が出来ました。

 

カイロプラクターへの道~はじめての挫折

国家試験を終えた年の9月、PACCで
「認定試験(アメリカの国家試験のようなもの)」と
「SOTベーシック」というテクニックの
認定試験を受験しました。

*SOTは仙骨後頭骨テクニックの略称で日本では
PACCだけが教える事が許可されたテクニックです。

試験には「ベーシック」「アドバンス」「クレニアル」
とあり、「ベーシック」は初級です。

結果は「認定試験」の方は合格したのですが、
「SOTベーシック」の方が不合格でした…

何かの試験に落ちるのはこの時がはじめてだったと思います。

かなりショックでした・・・

自分では勉強したと思っていたのですが、
勉強が足りなかったようです。

 

夢の実現

そして、1年後の9月、「SOTベーシック」の試験に
無事合格し、晴れて10年前から目指していた
『PACC認定カイロプラクター』となる事が出来ました。

 

やっと立てた、スタート地点

目標だった「国家資格の取得」「認定カイロプラクター」
になり、やっとカイロプラクターとしてのスタートラインに
立てたわけですが、臨床ではまだまだ半人前。

患者さんに安心して治療を受けて頂く為には、様々な症状にも
対応出来るしっかりとした臨床経験が必要になります。

そこで、専門学校を卒業してからの3年間は、
どんな患者さんの悩みにも応えられるような1人前の
カイロプラクターになる為に、実家の治療院で
テクニックの基礎、臨床をさらに学びました。

 

鎌倉でのスタート

3年間、父の下で臨床の勉強し、カイロプラクターとしても、
治療家としても「青年」から一人前の「成年」に成長したので、
2009年4月1日に現在の鎌倉・由比ガ浜で
「湘南カイロ 鎌倉治療室」を開院することが出来ました。

 

本当のスタート

スタート地点に立てたとは言え、実力はまだまだ半人前。

「一生、勉強。」の治療業界なので勉強量も
経験もまだまだ全然足りません。

その為、現在でも様々な症状、来院して下さる
1人でも多くの患者さんの悩みを一緒に解決出来るように、
勉強してきた治療法を更に磨き、又、新しいテクニックを
学ぶ為にセミナーに出席したりしています。

好きな事の為の勉強なので学科も実技もとても愉しく、
治療勉強限定ですが、勉強好きになった様な気がします。

「みんなを元気に笑顔にする。」

という自分の目標を胸に、日々、切磋琢磨しています。

 

20年前からこの先もすっと変わらない目標

現在では父、兄、私、弟と家族で同じ仕事をしているので、
定期的に家族で勉強会なども行っています。

セミナーなども家族や兄弟で揃って参加する事が多いので、
今では名物家族みないになっています。

『カイロプラクター』に憧れはじめてから約20年。

当時からずっと想っていた

『みんなを元気に笑顔にしたい』

この目標を生涯の目標としていつまでも持ち続け、
これからも1人でも多くの患者さんを

『笑顔』に出来る様に、日々精進していきたいと思っています。

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